


中でも清水観音堂は学生の頃からご縁をいただいているので、お正月と年の暮れにはお参りさせて頂いている場所です。
寛永8年に東叡山寛永寺を開山した天海大僧正が京の清水寺に倣って建立した清水観音堂。元禄時に現在地に移されていますが、「清水の舞台」の前に配されているのいるのが、歌川広重も浮世絵に描いた月の松。琵琶湖に見立てた不忍池となってます。
月の松は、円を描いた不思議な松。
天海大僧正は、不忍池を琵琶湖に見立て、そこに浮かぶ島を琵琶湖の竹生島から弁才天を勧請して、不忍池辯天堂を建立していますが、月の松の円の中にその不忍池辯天堂が収まるような仕掛けなのだそうです。
月の松は、明治初期の台風により被害を受けて永らく失われて、平成に入って復元。
往時の松は、江戸時代の植木職人の技術を凝らして作り上げた様ですが、新たに復元された月の松も、現代の造園技術を駆使して造形されたものだそうです。
江戸時代に江戸一番の桜の名所として知られた上野・寛永寺。
歌川広重が最晩年に手がけた一大連作『名所江戸百景』の「上野清水堂不忍ノ池」そして「上野山内月のまつ」の2枚に描かれています
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